【禅林寺−数百年を経た寺は歴史の引き字引】
石畳の続く寺町は、古く長崎の異国文化の発展と共に、宗教文化の中心地として栄え、宗教弾圧の裏に隠された様々な時代背景や、歴史上名高い人物の名残の地として、多くの歴史を物語っています。
その寺町に位置する当寺も、長崎の文化として、また歴史そのものとして、今までもかつての異国情緒そのままにその風格を偲ぶことが出来ます。
その寺町に位置する当寺も、長崎の文化として、また歴史そのものとして、今までもかつての異国情緒そのままにその風格を偲ぶことが出来ます。
【禅林寺の由緒】
河東山 禅林寺は禅宗であり、臨済宗に属す。
本山は京都花園妙心寺である。創建は、正保元年(一六四四)石峯租芳という禅僧が長崎奉行所にて書物改の役を命ぜられ、その功労を賞し、奉行馬場三郎衛門は一寺の創建を許可。
石峯は現在の寺地に禅林寺を建立した。
この寺地は唐通事穎川官兵衛の別荘であったが、當寺創建の為に石峯に寄付した。
天保十年六月、伏見宮家より祈願所に指定せられる。
當山の地蔵堂の祀れる地蔵菩薩は、崎民の尊信深く地蔵盆には盛大な祭礼をなした。
當寺の什物に蘇州土による亀山焼き、染め付けのしっぽく器が七〇点余り保存されている。
禅林寺墓地には、蘭学者吉雄耕牛、水戸御殿医柴田方庵、長崎南画木下逸雲、天文地理学者島谷市左右衛門の墓存す。
本尊は如意輪観音菩薩。